
実家に置きっぱなしの私物を片づけた時に実感したのは、私は過去に囚われ過ぎていた、ということ。
複数の友人からの手紙が多く取ってあったが、現在その友人とは付き合いがない(=ご縁が終わっている)にも関わらず、美化した思い出とともに保管してあった。
さらに、過去に買った(贅沢な)ブランド品の箱や紙袋。
これらは、それらを買えた自分を誇示するために取っていたように思う。
どれも、これも、今の私とは無縁なモノ。
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無縁なモノをどんどん捨てていくことで、私が生きている「今」に集中する感覚が磨かれているように思う。
過去の手紙を手にしても、「もう終わったこと」と、さっぱりした気持ちでシュレッダーにかけることができたし、
(あんなに一所懸命に買った)ブランド品の空箱や紙袋も、あっさりゴミ袋へ投入できた。
他にも当時は「もったいない」からと捨てられなかったモノも、今の私には不要なモノ。
これらも、さっぱりとした気持ちで捨てることができた。
こうして、自分の手元にあるのは「今」の私が必要としているモノだけになると、どれほど気持ちがスッキリ、さっぱり、身軽になるのだろう・・・と、想像が膨らむ。
これからも、「今」に集中する感覚を磨き続けていきたい。
そして、不要なモノの処分を続けていきたい。
でも、モノの処分もいつか(いや、早いうちに)終わりにして、今あるモノを大事に使い続ける暮らしを実践していきたい。
なお、手紙を捨てる時ひとつだけ気をつけたことは、中身を一切読まないこと。
問答無用でシュレッダーにかけていった。
読んだところで、懐かしい思い出に浸るだけで、時間も無駄にする。
それに、執着が生まれて「やっぱり捨てたくない!」となってしまうのも困る。
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最後までお読みくださり、ありがとうございました。