
しばらく自分の暮らしに集中していたら、他人の暮らしには(以前ほど)興味を持たなくなった。
なので、あちこちのブログを見ることもなくなり、時間に余裕ができた。
自由時間が増えたので、ますます自分の暮らしに目を向け、好きな本を読む、(流行っていない)好きな音楽を聴くなど、私にとって有意義な時間を過ごせている。
すると、いよいよ他人の暮らしに興味は失せつつある。
もちろん、数名お気に入りのブログはあるのですが、たまにしか更新なさらないので、私もたまにしか拝見しない。
そのペースの緩さもとても心地よい。
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他人の暮らしに興味が無くなったのには、もう一つ理由がある。
それは、[他人は他人、私は私]
境界線を(私の中で)はっきり引けるようになったからだ。
以前は、他人と同じモノを持てば自分も満足するとか、皆が持っているのだから自分にも合うはず、と他人の選択に依存して自分の身の回りを固めていた。
また、自分が気に入っているモノを強くお勧めしたい(押しつけ)願望があり、欲しがってもいないのに差し上げたりして、相手の領域に土足で踏み込むようなことをしていたこともある。
ある種の本を読み進めていくうちに、自分に徹底して足りなかったのがこの[境界線]と[領域]の概念だったと気づき、愕然としたことを今でも覚えている。
この概念を持つことで、憧れの人のお気に入りのモノを自分の暮らしに取り入れて同化しようと心騒めくことも無くなり、自分のお気に入りを探し回ることも無くなり、他人にお勧めしたい願望も無くなった。
要するに、他人に依存したり、モノに振り回されることが無くなったのだ。
また、他人の心無い言葉に傷ついても(風に揺れる椰子の木のように)しなやかに心を回復することができるようになった。
他人が言っていることや行動で(自分の信条に反していて不快でも)腹を立てることも少なくなった。
相手は相手の領域内で好き勝手言ったり、やったりしているだけで、自分には実質的な被害はない。
そう思うと、真面目に受け取らず流すことが容易にできるようになった。
だから、今の私はとても楽に生きられるようになった。
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最後までお読みくださり、ありがとうございました。