
捨てる行為だけで「断捨離」というのが気に入りません。
当ブログで紹介するのもおこがましいですが、断捨離の定義は、
「断」=入ってくる要らないモノを断つ
「捨」=家にはびこるガラクタを捨てる
そして「断」と「捨」を繰り返した結果訪れる状態を、
「離」=モノへの執着から離れ、ゆとりある“自在”の空間にいる私 と定義づけます。
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私は時々、断捨離(捨てだけではない)の進捗状況を考えることがあります。
特に、大がかりな片づけが終わった後によく考えています。
なぜなら、日頃から断捨離を心がけていれば、大がかりな片づけなんてする必要がない。なのに私は今だ大がかりな片づけをしているからです。
今の私は、捨てを繰り返しても離れることのない執着によって、捨てが阻まれている状態です。
○ 着ることはないけど、素敵な服だから捨てられない
○ 使わないけど、状態が良いから捨てられない
○ いらないと分かっていても湧き起こる強い物欲
こんな気持ちで不要なモノを迎え・持ち続けています。
強い物欲をなだめる方法は自分なりに編み出しましたので、何とか耐え忍んでいます。
ただ、不要品はせめて少しでも私の心が痛まないような手放し方をと、フリマアプリで売りに出して、売れるまで所有し続けているのです。
要らなくなったモノを、素早くさっぱり手放したいのに、それができない執着まみれの私・・・そんな自分に正直、がっかりしています。
買うのは簡単ですが、捨てるのは苦しみや悲しみを伴います。
捨ての苦しみを避けたいばかりに、激しい執着心で所有しているくらいなら、はじめからソレは買うべきではなかったのだと思います。
今日もお読みくださり、ありがとうございました。
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